3月上弦
3月21日午後23:40に上弦


昨日の地震は皆様大丈夫でしたか。
怪我や物の破損などにお気をつけてください。
被害のないことを願っております。



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Thou, Lord, 
with bless the  
righteous.
Psalm 5:12
主よ、まことにあなたは
正しい者を祝福します
詩篇 5:12

桜の画像を探してましたら
偶然見つけました



第6回「ハーフムーンのメッセージ」



コロナ禍となって1年経ったと言われますが、私は2年も3年も費やした気がして、まだ1年だった?!と改めて、いや、驚いて思った次第ですボーゼン

それだけたくさんの出来事を過ごしたような、重圧や、疲れが溜まったような感じがします

知らず知らずに緊張の疲れが溜まっているのでしょう。

皆様も緊張しますよね。感染しないようにとても注意を払うわけですから


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思い起こせば、昨年は、「子どもが卒業式がなくなって可哀想だ」とか、我が子の卒業式、晴れの舞台を見たかったのに保護者の参加は中止になってショックだとかのお話やご相談が複数寄せられました。

ご相談…かなり落ち込み、悩んだ方もいらっしゃいましたよ…。一生に一度のことなのにって。

あのね、一生に一度なことは事実でしょうけれど、晴れの舞台は一生に一度しかないわけではなく、何度でも起きるということ、(実際、小学生のお子様のある方が多かったです。きっと初めての、楽しみにしていた卒業式でしたでしょう)けど、これから中学、高校、大学、成人式、入社式、結婚式、いろいろ体験できますと、お伝えしても、がんとして、「でも小学校の時は今しかないし…」と落ち込みからなかなか抜け出せずでした。

今しかないことって、今日だってそうです。二度と令和3年3月21日はやって来ません、永久に。

そもそもお子様が主役なのだから、同い年のみんなで変わった体験ができたと言って、何年経っても思い出話になるかもしれない、ともかくお子様が落ち込んでなければ良いではないの。

「いや、それが、子どもが落ち込んでいるんです」って。本当?

子どものうちは、落ち込んでいるって言っても大したことなかったり、すぐに忘れたりしますよ。まして小学生…。

母親が落ち込んでいるからそう見えてしまうのではないかしら。投影心理です。

言葉でも「残念だね」と子どもに言ったら、子どもがうつむいて「うん…」って言った、元気なさそうに。

って、そう見えるだけで、子どもはあまり深く考えてなかったりして。

ともあれ、1年が過ぎました。元気に無事に皆さん過ごせています。良かったです。


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あんまりひどいと、

重たい話になりますが、

「311の被害の学校は、今と同じく時期的にも卒業式の準備の真っ最中でしたね」って話をしてしまいます。

今と同じく卒業式ができなかったどころではない、卒業生も親も先生も、卒業生を見送る在校生も、どんな年齢の子も亡くなり…

校舎が残ってる学校だって体育館は避難所になるしで、

卒業式ができない以上の深い悲しみ、恐怖、体験のない人には到底想像のつかない悲しみです。

が、こういう話をしても、失敗します。ピンとこなかったり、頭ではわかるけど自分の感情は収まらないとなることは、私もわかっています。

わかっているのですが、言ってしまう私もいます。

心理の処方として、落ち込んでいる人に「あなたよりもっと大変な人がいるんですよ」という話は逆効果なことはお決まりなのです。


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この世の終わりかのように落ち込んでいる時、悲しみに暮れている時は、自分がこの世で一番不幸で一番辛いと思っていますから。そんな時に「でもね、あなたよりもっと…」と言うと、脳内は「え?自分が一番不幸ではなかったの?そんなはずない」というパニックを瞬時に起こし、パニックも含めて、よけいに悲しみがひどくなります。

ただ、賭けではありませんが、たまに、ハッと気づく場合もありますので、私は、「気づいてくれたらいいな」という一粒の期待に賭けて(←やはり、賭けてるやん)(←また関西弁)言います。

ハッと気づく、我に返るなどして、「そうですね」って、心が落ち着いたらとても良いことですから。

気持ちは穏やかになり、今まであんなにウジウジぐだぐだしていたのが嘘のように晴れ、トンネルの狭い暗闇のような世界から、パーッと明るく広い世界に飛び出ることができた解放感といったら、

とても気持ちが良いことですものね。

なんでもこれから出来るような気持ちにもなります。


また、逆効果となった場合の、よけいに落ち込んだという場合も、時間はかかりますが、あとでフッと気づく時があります。

どちらにしましても、私に言われようが言われまいが、私だけではなく、誰かに言われようが言われまいが、本人が気づくことですので、その気づきが、言われた時や言われた内容がきっかけの時もあれば、頭に残っていたことが思い出された時がきっかけになったり、全然関係ない話なのになぜかリンクして気づいたりと、どれも本人、皆様方次第のことです。

素晴らしい気づきがありますよう、いつも祈っております。


震災、人災、

すべての災害において

被害に遭われた方々のご冥福を謹んでお祈り申し上げます



次は4月4日(日)
下弦のメッセージです。
次回もお楽しみに