1月獅子座満月

( お詫び:
前記事(2021年1月満月の無料遠隔ヒーリング)では 、占星術家ヤスミン・ボーランドさんの言葉が私の言葉のようになっていたこと、お詫びいたします。後で読み返して気づきました。引用したヤスミンさんのメッセージを今度は文字色を変えましたので、おわかりやすくなったと思います。どうぞ再度ご覧ください。)


遠隔ヒーリングも受けてくださり、ありがとうございました。

今回のヒーリングはようやく、いや、“ようやく”は、私の中だけのことですが、新しい年、2021年の最初の満月に、愛の神様「クリシュナ」を招き入れ、祈りました。

(“ようやく”と言いますのは、…話が長くなりそうなので別の機会にしますね。また聞いて(読んで)ください



特にクリシュナは異性の愛を惹きつける御利益があります。

いつもヒーリングには多くの宇宙存在、高次元の存在に祈り、皆様に必要なエネルギーが行き渡りますようにと願います。

その後は皆様がそれぞれに信じる神や天使、信じる人々、信じる物事や現象、思いを寄せる人のことを信じ続け、信頼し続け、愛で満たされますように。



クリシュナはインドの神様です。

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左側の男性の姿がクリシュナ神です。

横笛を持っていて、横笛を吹く姿の像や絵が多く見られます。

牛飼いでもあったので笛を吹いて牛(インドでは牛は神聖な動物)を優しく誘導、または音楽を奏でて、気持ちを楽しませようとする神様でもあります。

寄り添う女性はクリシュナの最愛の人、ラーダー。

二人を理想の恋人、最高の愛、純粋な愛として崇拝しているクリシュナ神信仰…までが私の知っているところでしたが、

たった今、このブログを書くにあたってもう少し詳しく確認しようとして検索しましたら、

二人は独身ではなく既婚者同士でした

恋人という位置付けのままで生涯を愛したという物語は、そういうことだったのですね

いやいや、シヴァ神といったインドヒンズー教の神々の中で、クリシュナ神も人気の神様ですから、大きな愛、神様の愛の物語に深い意味や悟りがあるのでしょう。

歴史に残る多くの文献や言い伝えや、人々が体験した奇跡や恩寵、御利益などからして、本当に人気のある神様だそうです。

ラーダーはまた、クリシュナより年長だそうです。ラーダーの愛は神の愛と同じと云われ、美形で人気者でプレイボーイのクリシュナを(妻は1万人以上いたという…)ラーダーは焼きもちを焼くことなく、いつも愛し、そしてクリシュナもラーダーのその愛に心を奪われたと。

ん?母性?男性はいつの時代でも母性に弱い?なんて思ってしまいそうになりましたが、

以下、Wikipediaの解説を引用してクリシュナのお話は終わりにしますね。長々と失礼しました

そして引き続き今日からの3日間のヒーリングをクリシュナの愛と御利益とともに楽しめますように

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ラーダー (Rādhā) は、インド神話に登場する美しい牧女(ゴーピー)。ヴリンダーヴァナの牛飼いアーヤナゴーシャの妻。ラクシュミー女神の化身であるともいわれる。ヒンドゥー教の数ある神々の中で最も親しまれている英雄であるクリシュナの恋人。

伝説によれば、幼いクリシュナは悪王カンサの追及から逃れるために牛飼いのカンダに預けられて育ち、青年になると非常にハンサムな男子になったので多くの牛飼いの娘たちに愛されたが、クリシュナが最も愛した牧女がラーダーであった。

古いクリシュナ伝説である「バーガヴァタ・プラーナ」では、クリシュナと牧女達の話はあるがラーダーの名は出てこない。9世紀頃からクリシュナの恋人として知られるようになり、12世紀頃の詩人ジャヤデーヴァが『ギータ・ゴーヴィンダ』において、ラーダーとクリシュナの恋を官能的に描いたことで有名になった。現在のインドでもクリシュナとラーダーの愛を描いた細密画は非常に多い。(Wikipediaより)

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第121回「自分との対話が何よりも先 」


今年はコミュニケーションをテーマにして、コミュニケーションについての理解を深めながら、愛を叶えていくメッセージとなります。(12月満月メッセージで予告と少しメッセージも。)(1月新月もご参照ください

コミュニケーション能力が伸ばせたり、障害となっているものは何かを理解したり認めたりしながら消していき、幸せな交流が訪れますように。


◆自信がよみがえる、自分との対話

コミュニケーションは対話、交流です。

言葉を発する会話だけがコミュニケーションではありません。

対話、交流など、向き合うことなら全てで、たとえ偶然でも目が合った瞬間にもコミュニケーションがあります。

目が合った一瞬など、1秒もない短い中で言葉で発し合えるわけがありません。ところが、言葉には表せない、言葉で何と説明したら良いかわからない感情というものが出てきたり、

体は、心臓がドキッとするかも知れない、

手は少し汗ばむか、震えるかも知れない。

頭の中はしばらくボーッとするかも知れない。

そして時間が経ってから、あの時は何だったんだろうと考えれば、ポツポツと言葉が浮かんで、そうして考えてしまうことが繰り返されるなら、繰り返すたびに、時間が経てば経つほど、膨大な言葉、日記に文章として書けてしまうほどの言葉が浮かび上がったりします。



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そんな、一瞬の、1秒もない目が合った瞬間から、膨大な言葉が浮かぶだなんて大げさな…と思われたかも知れませんが、


目が合ったという他に、


相手と一言交わした、

相手の姿を遠くから見かけた、

会話できなかったけど相手の表情だけ見た、

相手から今日もメールが来なかった、


ここまででも経験しただけで、目が合った一瞬以上の言葉がどれだけ自分の中から浮かぶかがわかると思います。それが毎日毎日と日にちが経つにつれて、いろいろな思いが出てきます。


ましてや、自分がもっと頻繁に交流したいと思う相手であれば、ほんのわずかな体験でこんなにいろいろと言葉が浮かんで考えてしまうなら、

次に会えた時に、

次に相手から連絡があった時に、

次に恋愛が成就して二人だけになった時に、結婚した時に、

どれほどの言葉が溢れ、会話がなされると思いますか。

この時は自分だけではない、相手もいますから、大人二人分の言葉、感情、考え、アイディア、心配事、不安、嫉妬、欲望、希望、目標、などなど…。


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皆様が知っている周囲のカップルや、友達から聞いた話や、または皆様ご自身も経験があるかと思います、

異性と二人だけになったとしてもそれほど会話が進まなかったという経験。


でもここでも、コミュニケーションは言葉で発せられる会話だけではないということに気づいてください。

「頭の中では考えていたけど、いざとなったら言えなかった」ということもあるように、言葉にされていない思考や感情があり、相手にもあり、二人合わせて膨大な情報量があります。

言葉にできるものと、どう表現したら良いかわからないという言葉にできないものとの、両方を合わせたものですから、本当に膨大な量です。


それはなんと、会話上手で聞き上手で話し上手で、心明るくて、胸の内を明かすことが得意で何でも話せて、お互いに何でも話せる仲だとしても、

膨大な情報量は消化されてしまうことなく、まだまだあり、まして、情報量は毎日どんどん作られています。会話にして表情に出して、態度にあらわして、表現しようがしまいが関係なく。

情報量はエネルギーです。波動とも言えます。

波動というのは、雰囲気に表れます。

遠距離で会えないという人には、会えないと雰囲気もわからないと思うでしょうけれど、わからないだけで、実は雰囲気(=波動)は伝わります。

ですから、相手の波動は受信しているし、自分の波動は相手に伝わっています。


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ここからが本題なのですが、

相手ともっと通じたい、会える回数や連絡の頻度が増えてほしい、もっとコミュニケーションを取りたいという時の、

自分ひとり分の情報量がどれだけ多くあることか。

それと、

その自分の情報を相手に聞いてもらうのではなく、また、相手の情報量を聞きたい・知りたい・受けとめたいでもなく、

その自分の情報を自分が聞いて、理解してあげたら、

次に相手とコミュニケーションができるように開通される
、という順番がどうしてもあるので、これは、相手に好かれるためにはまず自分が自分を好きになることや、相手に大切にされたいならまず自分が自分を大切にする、相手のことをもっと知りたいならまず自分のことを知る、というようなことと同じなので、

本当にこの順番しかなくて。

相手がまだ現れない、運命の人にまだ出会えていないという方にも同じです、自分のことが運命と思えるくらいに自分の素晴らしさを称えて、運命の出会いをしたかのように毎日が感動の日々を過ごすなら、他者との出会いも早いでしょう。

ところが人は毎日どころか、1日でも自分を称えたり運命に出会えたかのような感動を自分にすることなどなく、どころか、その逆の、自分をけなし、自分を惨めだと思い、こんな自分なんてダメだと思うことのほうが多いです。

出会えないなんて自分がおかしいのではないか、とか、相手にされない私なんてもうダメだ、とか。


本当におかしいので、性格悪いので、出会えない、相手にされない、好かれないというのはありますが、これも、自分を称えたり感動したりして自分の素晴らしさを知っているなら、自分はおかしい人ではないということがハッキリとわかります。

自信をよみがえらせて、元気になってください。


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それが出来ないという人もいらっしゃいます。

多くの人がそうかも知れません。

自分との対話をするということができない、自分を褒め称えたり、感動したりなどできない。そもそも感動するほどの良い点など全然ない。あるのはダメなところばかりだ、と…。


でも自分との対話をしないと、次に相手が来ないので、

どうしたら良いでしょうか。



自分との対話をしないにしても、できないにしても、いずれにしてもとにかく自分との対話なしに、相手と進むことはできるでしょうか。

残念ながら答えはノー
で、

誰もが自分との対話を生まれてこのかた全くしていないわけではないので、自分はダメだとか寂しいとか思うことでも自分と対話しているのです。

ですから、ダメなままでもネガティブなままでも(本当はハタから見たら少しもダメでもなく少しもネガティブではなかったりするのですが)、出会いはあったり、好きな人と交流ができたりします。

でも続かないのですよね。

自分との対話に、自分を理解してあげるという作業がない限り、日にちが経てば経つほど相手が遠ざかり、相手の気持ちがわからなくなったりの、理解不能が続き、理解不能は疑いや分離感や寂しさが出ますから、またますます自分との対話をしなくなり、よけいに相手との対話を求めます。

ますます自分との対話をしたくなくなる、それはそうです、嫌な思いをしている自分を褒め称えたり感動などできるものですか。できないほうが自然で当たり前のことかも知れません。

それでも、相手と対話したいなら、いや、そういう時こそ自分との対話をするのです。

寂しい時に相手と話したい、相手に慰めてもらいたい、相手に心配してもらいたい、、、それらが叶うのは、自分が自分を励ましてあげたり、慰めてあげたり、心配してあげることです。

心配してあげること。それは心配することとは違います。心配してあげることは安心させることになります。

あなたがあなたを安心させないと、相手のことをいくら安心さてあげようとしたり励ましたり、「何かあったら何でも言ってね」とでも言えて、たとえ現実に相手が「ありがとう、安心したよ」と返ってきたとしても、

それっきりだったりします。

相手は本当に安心してはいないのでしょう。


ここで勘違いしないでください。「私では相手が満足しないんだ、安心させることはできなかった」と思わないでください。


思うことはただ一つ、「自分は自分を安心させただろうか。自分は自分を満足させていただろうか。」です。そして安心するまで安心させ続け、満足するまで続けることです。

あなたが安心すれば相手も安心、あなたが満足すれば相手も満足する。

あなたが愛すると、相手もあなたを愛します。

(ただ、愛するの内容には安心、満足、また会いたい明日も頑張りたい頑張れるなどの向上心、ポジティブ、前向きな気持ちや行動、責任、喜びなどいろいろ含まれています。)


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ここまでお伝えして、

そうだ、自分との対話が先とよくわかった、やってみよう、やっていこうとできる人と、

いや、まだできない、とか、やってみたけどできなかった、とか、

ひとりで虚しくなってしまう、

やっぱり相手がいないと…

となる人へ、

本当に自分が自分を安心させるなどの自分との対話に感動させないと、相手との楽しい交流は無理ですからねと私は急かすつもりはありませんし、そうやって急かされて、「そんな結果になったらイヤだからやる」というのも好ましい心理状態ではありません。

ともかく、できないという人は、

辛い時こそ、自分が慰まれるまで自分に寄り添おうとしてください。慰まり、心が落ち着くまで寄り添うと決めたら、

何をするか、何をするべきか、何をしたいと思うかがひらめくので、それを行動にしていけば、寄り添うことになり、寄り添われた自分はぐんぐんと落ち着きを取り戻します。

何をするのか、それは、音楽を聴いてリラックスしたり、花を見たり、好きな趣味をもう一度復活させることかも知れない。

何でも浮かぶままに、何でもやってみたり、やりたくないと思えばそれも寄り添ってあげて、「やらない」としてあげたり。


ここで、「自分との対話なんてしたくない」と思えば、それも寄り添ってあげることももちろんアリです。

この場合、自分との対話よりも、寄り添うことのほうが大事ですから。

自分との対話は、寄り添うことですから。

寄り添うことも自分との対話、コミュニケーションの一つなのですから。


しかし、しつこいようですが、寄り添い続けられるかどうかです。

心が落ち着き、自信がよみがえる、もしくは自信なんてなかったのに自信が出てきたという時まで寄り添えるかどうか…。

好きな人にはできるのに、って思いますか?

何が何でも好きな人には寄り添いたい。ずっと応援したい…。


だけど、相手は私を近づけようとしてくれない、寄り添わせてくれない、私ばかりが合わせたり応援したりで、相手からは何もこない、合わせてくれない、

ではないでしょうか。


自分が自分に寄り添ってないから。自分が自分に合わせてあげてないから。

自分には合わせず、相手にばかり合わせようとするから。


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しかも、自分が自分に寄り添えず、自分が自分に合わせることができない(合わせることをしない)人に限って、結果を早く望みます。

願望が早く実現してほしいのは誰でも思うよくあることですが、
それよりもっと早いのです。

早く決断したがるのです、結果がまだ出ていないのに、これが結果だと決めたくなります。だから、すぐにネガティブに捉えて、落ち込みます。

ネガティブに捉えるのも当然です。まだ自分に寄り添えていない、対話もない、グラグラな自分が決めたことだから…。



ただ、もう一つ、自分との対話ができない人の特徴があって、それは小さい時の両親からの育てられ方です。

どんな子も、子どものうちは何もわからなくて当然です。親である大人が何でも答えたり、面倒を見たり、子どもの代わりに行動したり(料理をするとか、家賃を払うとか)と、

とにかく、はいどうぞと結果を目の前に出されて当然です。

ところがここで親が「あなたの考えは間違ってるから」「親の言う通りにしていれば間違いないから」と言わんばかりに、いや実際に言葉にも出されたりして、育てられていると、

子どもの時に「私の考えは間違っているけど、親や、私以外の人は正しいんだ」という記憶が刻まれるので、

大人になっても自分の意見や感情には自信が持てず、相手に合わせようとしてしまいます。



さらに、子どもの時に「あなたにはできない、無理、お母さんがやるから待ってなさい」と、例えば小さい手で掃除など、少しでもお手伝いしようとしたら断られたり、(お母さんにとっては愛情から言ったものであっても)、

そのうちどんな時でも、「私は動かない方がいい。差し出されるものを待つんだ」となり、待つ姿勢、受け身の人生ばかりになったりします。

結果を急ぐのもそこから来ます。誰も「待ちなさい」と言っているわけではないのに、待ってしまい、待ち続けてしまい、もう我慢できない!待つのはイヤだ!いつになったらこんなことから解放される?!と思って変な決断をしたり、結果が早く来てほしいとなるのと、


小さい時から自分は何もしなくても、親がぜんぶした、親がぜんぶ決めた、親がぜんぶ見せたり差し出したりして結果を出していたから、

結果は相手から来るものだと思っているのです。

同時に「私が出した結果なんて、私が行動したことなんて、間違うに決まってる」と思いながら。


この小さい時からの「思い込み」は気づくだけで外すことができます。



次は2021年2月13日(土)
新月のメッセージです。
お楽しみに

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辛いことは洗い流せますように

メッセージ後記:
子どもの時の記憶は無意識の中に刻まれましたから、なかなか変えることができないと思われがちですが、意識する(=気づく)ことで無意識ではなくなり、意識に浮上するので、理解すれば直すことができます。

気づくまでの過程が長かったり複雑に感じたりするので、専門家のカウンセラーを尋ねるという方法もありますが、よほど複雑で悲惨な家庭でない限り、今、たとえ好きな仕事でなくても働いて普通に生きていらっしゃるなら、子どもの時の間違った思い込みは消え、自分との対話を焦らずに進めて、癒されることができます。
 
パワーを送ります。

リラックスしてください。